【京都 進二高等学校】
京都は歴史の街で毎週京都市の人口に数倍する観光客が訪れます。
公家や自社が多く、中世以降割拠的な政治史を歩んできた街であるため、たくさんの珍しい苗字があり、また「鈴木」とか「佐藤」とかいった特定苗字への偏重が少ないのも特徴です。
そのなかで中坊氏という名前がありますが、中世から戦国期にかけて大和で栄えた筒井氏の被官として歴史に登場します。
【中世における中坊氏】
定次改易の一件に関しては、大坂城の豊臣氏を討とうと画策する家康にとって伊賀の筒井定次は邪魔な存在であり、飛騨守をして讒言させて取り除いたのだとする説もある。たしかに、定次が没落したのち飛騨守秀祐は奈良奉行に任じられ、また吉野において三千五百石を賜った。飛騨守讒言説もにわかに真実味をおびてくるが、真相は薮の中というしかない。
ちなみに、定次の改易の理由を『慶長見聞録案紙』などには、「不義」とあるのみだが、当時伊勢亀山城主であった松平忠明の記録といわれる『当代記』も中坊飛騨守の讒言と考えられる定次の「行跡」は「常に被官以下にも対面せず、山中に籠って鹿狩りばかり云々」とあり、いわゆる定次の奇行がうかがえる。
慶長十四年二月、定次を訴えた中坊飛騨守は、伏見においてかつての同僚山中某によって殺害された。世人は「主君を訴えた逆臣だけに是非もない、天罰を蒙ったのだ」と言い交したと『当代記』に記されている。理由はともあれ、秀祐が世間から主家を潰した張本人としてみられていたことが知られる。
秀祐の跡は、子の左近秀政が継いで、父と同じく奈良奉行を勤めた。以後、子孫は封を継いで明治維新に至っている。
☆出展:http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nakabo_k.html☆